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美学の作り方

今回は美学の作り方を解説します。

美学を作るとは、あなたの「人生の道しるべ」を作ることです。

以前のコラムで、美学とはあなたの人生のコンセプトであり、あなたが人生をかけて達成すべきミッションだと話しました。
物語を進めるには物語のコンセプトを理解していないといけません。
使命を全うするには、その使命がなんなのかを知る必要があります。

クラシックに生きるには「あなたにとってのクラシックは何か?」を理解している必要があるのです。
その答えが美学です。

当然ですよね?
行き先がわからない状態では、いつまでたっても出発することはできません。

「どこに行こうとしているのかわからないのに、決して遠くまでいけるものではない。」

:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ[詩人]

美学という目的地があって、そこに向かって歩いていく道のりが人生です。
そしてその生き方がクラシックに生きるということなのです。

では早速、美学の作り方を学んでいきましょう。

…とは言っても、実は美学の作り方の概要はアートシーンマインドでも公開しています。
まずは、このキュビズムの記事を参考にしてみてください。

キュビズムの記事を読む
※後半の「アートの思考法」だけでもOKです。

今回はこの記事の補足をしたいと思います。

美学の作り方を復習すると、

    1. 分解
    2. 再構築
    3. 純化

の3ステップでした。

自分の好きなこと、嫌いなことを全て書き出し、共通点を見つけ、さらにラダリングによって本質を見出していくという方法です。

これ「へ〜そうなんだ」で終わらないでくださいね。
実際にやらないとあなたのためにならないので。

 

分解から再構築へ

 

分解はわかるとして、再構築は別の言い方をすると「あなたの定義」を決める作業です。
芸術家的教育者は、自分の定義で世界を見ているのです。

定義についてはゴッホのひまわりの記事でも書いてあるので参考にしてみてください。

ゴッホのひまわりの記事を読む

辞書に書かれた言葉で語られる言葉に美学は見えません。
なぜならその言葉にあなたの世界観がないからです。
美学が見えなければ選ばれることもないのです。

あなたの定義とはあなたが世界をどう見ているかということです。
好きなことと嫌いなことを書き出し、それらはあなたにとって何なのかを定義していくことで、あなたの世界観は作られます。

自分の定義を持って自分の世界観を作るとは「自分自身で在る」ということです。
世の中のほとんどの人は実は自分ではなく「他人で在る」ことを無意識的に選んでいます。

自分の美学ではなく「どこかの誰かが言ってたようなこと」を人生の道しるべにしてしまっているのです。
それって他人の人生を生きているようなものですよね?

「ほとんどの人々は他の人々である。
彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である。」

:オスカー・ワイルド[詩人]

ワイルドの言葉のように、ほとんどの人の人生は模倣と引用でできています。
それは他の人の定義で世界を観ているということです。
つまり自分の定義で世界を観ることが、文字通りあなたの世界観を作り上げることであり、自分自身で在るということなのです。

共通点を見つけて再構築するとは、この定義を見つける作業でもあります。

僕にとってアートは美学の具現化であり、美術史は人生の参考書だと定義しています。
このように、一般論とは少し違う「僕にとっての定義」を積み重ねていくのです。

よくドキュメンタリー番組とかで「あなたにとって〇〇とは?」みたいな質問がされますよね?
あのインタビューを脳内で自分に繰り返すのです。

アートが好きな人はたくさんいますが、「なぜアートが好きか」という理由は人それぞれです。
それはアートの定義が人それぞれだからとも言えます。

その定義の違いがその人独自の視点なのです。
そしてその定義の総体が美学となります。

 

再構築から純化へ

 

3ステップ目の純化も同じことが言えます。

純化とはより本質へと近づいていくことです。
美学をより純粋な本質へ研ぎ澄ませていくのです。

好きなことと嫌いなことの共通点が見えてきたら、さらにそこから「なぜこの感覚が大切か」という本質を見出していきましょう。
それは具体的な現象として見えたものを抽象的な概念にすることで、情報をギュッと圧縮しているのです。

あなたの大切な感覚が全て内包された1つの概念を知ることができたら、あとはその概念にしたがって生きていけば良いのです。
その概念はあなたがどのような人間かという説明であり、MSPであり、僕が美学と呼んでいるものなのです。

具体と抽象の考えはかなり重要なので図で示してみましょう。

一番下の階層があなたが書き出した好きなこと嫌いなことです。
それぞれに共通点を探していき、抽象化させていきます。
再構築のステップですね。

一番上のすべての感覚を包括した概念が、あなたの美学の原石です。

そしてその美学の原石をさらに「なぜ?」を繰り返して無駄な部分を削ぎ落としていき本質を見出していきます。
情報を削ぎ落とし、本当に大切なものが見えてくるのです。

「美は、余分なものの浄化である。」

:ミケランジェロ・ブオナローティ[彫刻家]

美学を見出すとは余分なものを浄化していく作業です。
つまりあなたの本質を抽出していくのです。

でも本質を抽出するとは一体どういうイメージなのでしょう?

アートの世界では抽象絵画と呼ばれるものがあります。
抽象画家で有名なのがピート・モンドリアンです。

この抽象画を見たことありませんか?


あのイヴ・サンローランも「モンドリアンルック」を発表したことでも有名です。

でも抽象画ってよくわかりませよね。
「抽象」とはなんなのでしょう?

抽象とは「抽」という字は抽出するという意味です。
「抽出」と言えばドリップコーヒーをイメージしてください。
コーヒーフィルターに挽いた豆を入れて徐々にお湯を注ぐことで、余分な苦みが取れて澄み切ったドリップコーヒーができあがるのです。

ドリップコーヒーのように、余分なものを浄化して本質だけを抜き出して描いたものを抽象画と呼ぶのです。
それが目に見える世界なのか、画家自身の内面なのかは画家によるでしょう。
どちらにせよ抽象画は本質を抽出して描いているのです。

例えば下のような絵があったとしたます。

さあ、何が描いてあるでしょう?
うん、そりゃ木ですよね。
上手な絵です。

では次の絵は何が描いていますか?

まあ木ですよね。
わかってますとも。

ではでは次の絵はなんでしょう?

「だから木やん?馬鹿にしてんのか?」

いえいえ、とんでもない。

考えてほしいのは、1つ目の木の絵と3つの目の木の絵を比べると、どう考えても1枚目の絵の方が上手ですよね?
1枚目に比べたら3枚目なんて雑にもほどがあります。
でも3枚目もちゃんと木と認識できますよね?

ということは、3枚目の絵は「木と認識する」ために必要な本質は満たしているということです。
その視点で見ると1枚目はずいぶん無駄が多そうです。
だって「木と認識する」ためには枝を書く必要もなければ、葉を一枚一枚描く必要もないのですから。

このように省略していくことで、木の本質は見えてくるのです。
逆に木の本質の部分を省略すると、僕らは木と認識することができなくなるということですね。

このプロセスと同じように本質を見出そうとしたのがモンドリアンなのです。


《赤い木》から《灰色の木》は抽象的になっていることがわかりますか?
でも《灰色の木》も木に見えますよね。

このようにモンドリアンは徐々に木を構成する要素を省略していっても木と認識することができることを発見しました。
それはまだ木の本質が保たれているからです。

極端な話、「↑」これも木に見えなくもないわけです。

そうやって辿り着いた本質を表現したのが《コンポジション》なのです。

モンドリアンからすると世界の本質はこんなにもシンプルなんですね。

僕らもドリップコーヒーをドリップするように、そしてモンドリアンが抽象画で本質を抽出するように自分の中から美学を抽出しなくてはいけません。

抽出方法はもうご存知ですよね?

    1. 分解
    2. 再構築
    3. 純化

の3ステップでした。

美学とはあなたの本質であり、クラシックに生きるとは美学を体現して生きるということです。

「”これをやりに俺は生まれてきた”
と思えることだけを考えていればよい。」

:アーネスト・ヘミングウェイ[作家]

美学が抽出できたら後はそれに従うだけ。
「美学に従えば良いんだ」という確信が持てれば、人生は生きやすくなります。
美学はあなたの本質だから従えばそれがあなたにとってのクラシックな生き方なのです。

美学を作ることは、クラシックに生きるための「必須課題」なので一緒に頑張りましょう。
美学は自問自答し、繰り返していく中で、今後変わるかもしれませんが、それはそれで良いのです。

以前解説したように、そうやって一緒に成長物語を描いていくことが芸術家的教育者としての作品なのですから。